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[ 二〇一〇年 八月二十六日 同日 ]


優柔不断で内気で弱気、過ぎたことで悩んでるのが得意技のような自分の親友は、この夏の騒動で少し改善されたらしい。
できないとあきらめるよりも、できるかもしれないと。
少しでも可能性があればチャレンジしてみるという、とても前向きな方向へと変身を決めてくれたのだ。
とはいっても、相変わらず言動は気弱で情けないのだが、何か吹っ切れたその行動力に、ようやく健二も人並みに成長したかと自分の事のように嬉しく感じていた。
なのに、
(もうちょっとダメ人間でいてくれ)
相手にとっては理不尽な願いを、強く心に念じる。
自分は、決して彼が魅力的な彼女候補を手に入れて「リア充爆発しろ!」などと思っているわけではない。
むしろ、最初で最後になりかねない友人の華々しい成果を、本気で応援してやるつもりでいる。
が、今この瞬間だけは、真剣に呪いをかけずにいられない、自分なりの理由があるのだ。


――遅かったか……。

定員二名のチャットルームの扉に、見覚えのありすぎるふさふさとゆれる尻尾が吸われて消えて。
ご丁寧にもガチャリと音つきで鍵が閉まる様を絶望的思いで見つめる。
いつものドットアバターでは素性がモロバレだからと、複数串刺しで完全に自分を消し去ったゲストアバターで駆けつけてきたのだが、タッチの差でこの手は届かなかった。

「頼む、解いてくれるなよ……」

モニターに向かって呟いてみたところで、返事があるわけでもなし。
その間も休むことなくキーボードを叩く手は高速回転。
気休めでもないだけまし、うまくいったら上々――。







ちゃちゃちゃちゃーちゃちゃ~♪(Lvあーっぷ)


万が一を想定して仮組みしていたプログラムを打つ手がピタリと止まる。
自分で設定しておいてなんだが、明け方の部屋に響いた間抜けな電子音に、冗談抜きで体がガクリとよろめいた。

(だから解くんじゃねーっつぅのっ! あんの数学馬鹿ーーーーー!!!!!!!!!)

出来ないとは思わないあたり、罵倒している相手の数字解明能力にかけて全幅の信頼を寄せている……というよりは、正確に状況把握出来てしまう自分の性能のよすぎる分析能力が少しばかり恨めしい。

いっそ気がつかなければ――いや、なそんな過程と想定は無駄、ムダ、むだ。
起きてしまったことに「たられば」なぞ無価値もいいとこ。
立ち止まるヒマがあったら少しでも可能性を探った方がよっぽど有益、軽くてもいいからプラス思考が俺の信条。

「ったく。なんだって俺がこんな必要もない苦労をしょわなきゃなんないんだっつーの。酷すぎると思いませんこと奥様。かわいこちゃんならともかく、対象人物は冴えない一介の高校男子生徒で、ただの手間のかかる友達にしか過ぎない相手にわが身を省みぬ献身的行為とか……うわ自分で言ってて空しくなってきたわ敬くんかわいそーうしくしくしく……うむ、だんだん一人芝居もアホらしくなってきましたぁ~~~、よっと」

パシン!

勢いよくエンターキーに小指をたたきつける。
これで当座の時間かせぎはできるはずだ。
っていうか、出来てなきゃいろいろ終わり。ジ・エンド。

「んーと足跡がこれで履歴が……ああこれか。さすが堅い回線使ってんなぁ。行き過ぎたファン行為とか言ってバッシングされるくらいならともかく……これキングの信者にバレたら闇討ちされっかもねぇ。おおこわ~~」


カタカタとリズミカルに文章を打ち込み、幾重にも偽装を咬ませた電子文章を狙い済ませた相手向かって放り出す。




――さぁ、負けられないゲームのはじまりだ。









(セカンドウォーズ/終)


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[ 二〇一〇年 八月二十六日 ]


何日も同じ家で一緒に過ごしていれば、自然と分かってくることがある。

パーティグッズ満載の大荷物は持てたくせに、慣れない田舎道ではスイカ一玉の重みでよろけ、道端の石につまづき、見事に転んで真っ二つに割ってくれたり。チビっ子たちの鬼ごっこ要員に借り出されて、容赦のないお日様に照らされ、秒殺で日射病になりかけたり。
どっちかっていうと、ひょろっこくて情けない感じの風体で。口にする言葉は後ろ向きで不安定で、確信できることなんてなかなか言わない。だけど。

(……逃げ出さないんだよ……ね)

「分からない」「出来ないかもしれない」と口にしながらも、彼は決してあきらめない。求めているものに届かないかもしれないけれど、届くように努力する。
圧倒的な力を前に、心が折れてしまってもおかしくない状況にまで追い詰められても、答えを見つけ出そうとする。
……それが、どんなにすごいことなのか。
不安と緊張と絶望と期待を、ごちゃまぜにしたような瞬間を一緒に過ごしたからこそわかった。その感覚は、爆風とともに心の中に直接刻み込まれたのだ。
なんて、彼の本当の強さにてんで気がついていなかった自分が言えることじゃないって、わかってる。
正直に言えば、ちょっと頼りない雰囲気も年下と思えば気にならないし、頼みごとをしやすい後輩かな、という認識でしかなかったのだ。自分自身、色恋沙汰には疎い方……というか、正直無頓着だったから。
どっちかというと男っぽくてサバサバしすぎている性格のせいか、女友達から「夏希はモテるね」なんてからかい気味にいわれても、男友達の方だって気取らないで話ができるからだろうなってくらいにしか思えない。
自分が、人と話をするのは好きだし、率先して動くのも大好きだったから。だから、バイトを思いついたのもほんと気軽な気持ちでだから、平気で人を巻き込むようなこともできた。
……いくら大おばあちゃんを喜ばせようと自分では必死だったとはいえ、今思うとなんて失礼なことをしたんだろうと、頭を抱えたくなる。

   ごめんなさい!

偽りの婚約者の真似事までさせてしまった、被害者ともいえる彼をこっそり呼び出して。自分の中では誠心誠意、精一杯謝罪の言葉を口にしたのは、事件のあった翌日のこと。
いくら自分が楽観的な性格とはいえ、こんなことで許されると思ってるほどご都合主義ではなかったけれど。

   あ、あの……顔、上げてください。僕、別に怒ってないですし……というか、うん、あの。夏希先輩には感謝しています。

穏やかな声につられるように顔を上げると、まるで包み込むように散らされた満面のやわらかい笑顔に、どきりと胸が騒いだ。

   ここに連れてきてくださって、ありがとうございます。

それに、先輩は僕のこと応援してくれましたよね、うれしかったです……と、本当に心の底から嬉しそうに。ちょっと照れながら横向きで微笑む彼の姿に、夏の日差しのせいじゃなく、くらくらと眩暈がする。
目を細めて、幸せそうに笑う彼の横顔。
それは、あの日の大おばあちゃんの誕生日会で、弔問客を尻目に盛り上がっているみんなを、一歩下がって眺めている時にそっくりで。
穏やかな笑顔で「見守っている」としか言いようがない彼の小磯健二という人のやさしさに、なんだか自分も嬉しくなってきてしまって仕方がなかった。
どんな無茶だと思えることでも、一生懸命に向き合ってくれようとしているってこと。
大切な人たちと大切な場所を、このひとは守り通してくれたんだっていうこと。
……たぶん、自分の中で確かな好意が芽生えたのは、この瞬間だと思う。
というか、「大好きです」の一言に嬉しくなって頬にキスというのはやりすぎてしまったかもしれない……みんなが見てたのに、勢いって本当に恐ろしい。
恥ずかしすぎて、思い出すだけで顔から火が出そうっていうのはこのことかと……かーっと熱くなってきた頬に慌ててぱたぱたと手扇ぎをする。
(誰も見てない……よね?)
そっとまわりをうかがってみても、人の気配はない。ほう、と息をつく。よかった、今日は家の中に人が少なくて。
ミーンミーンとうるさいくらいのセミの声が私の耳をつんざく。時刻は午後を少し回ったくらい。
一日で一番暑気がもわっと高くなるこの時間。元気の有り余った年少の子どもたちは、背後に迫った夏休みの自由研究に追われて山の中へ突入。夏期休暇を終えて通常の仕事に追われて帰っていった人たちをのぞき、ヒマになってしまった男性陣は女性陣の「お買い物」に付き合わされて街へと出ている。
つまりは、今この広い屋敷内には、片手で足りるくらいの人数しかいないということで、滅多にないチャンスなのだ。

気がつけば、夏休みも残り五日。あらわし直下の怒涛の日から今日まで、あっという間だった。
一躍世界の救世主になった、……ことに陣内家において英雄格になった彼を奪い合って(親戚の誰の頼みも笑顔で引き受けてしまう健二くんは文字通りの争奪戦の商品)、笑いながら一日一日が飛ぶようにすぎて。
OZの混乱が落ち着くまで……なんて名目で上田への滞在を引き伸ばしていたけれど、さすがに休み内に一度くらいは部活に顔を出さなければならないし、健二くんだって遊んでばかりはいられない……と、こっそり私にだけ言ってくれた。
名残惜しいけれど、もう明日には東京に帰るのだ。
その前に。
やり残したことを達成しなければ……と決意をこめて、私は目的の人物を探して、板張りの廊下をぺたぺたと音をたてて歩く。はだしの足裏から伝わる板の感触がひんやりとして気持ち良い。
そういえば、と。
すっかり爆風の後片付けの済んだ広間に突き当たったところで、事件直後のヒーローの健二くんの様子を思い出して、思わず声を出してふふっと笑ってしまった。あれとかこれとかそれのせいで、鼻血を出しすぎて倒れちゃって。
真夏に靴下なんかはいてるからのぼせたんだ……なんて、万助さんに呆れられてたなぁ……と、思い巡らせていると。まるであの日を再現したかのような光景が目の前に広がっていて、私は思わず足を止める。
ちりーん。
涼やかな風鈴の音。暑いけれど、こもりがちな空気を払うかのようにふわりと抜けた風に、視線の先の少年の黒髪がさらりと揺れた。
柱にもたれて、片膝ついて。
ゆるりと伸ばした左手だけで、傍らで昼寝している……と思われる青年の髪を緩慢な仕草で梳いている。

「佳主馬……」

なんの感情も映さない無表情で冷たい瞳。
髪を絡ませて、ゆるりとなでる指先だけが、ひどくやさしい。

「……問題、解けたんだって。OZの数学コミュで見つけたやつ。ずっと計算式書きなぐって、とけたって叫んで打ち込んで。そのまま、バッタリ気を失っちゃった」

名前を呼んでも顔も上げずに、淡々と事実だけを羅列した声が静かに響く。

「………また夢中になっちゃったのね。ほんと数字のどこがいいんだろう? あたしたちはそれに救われたんだけど、なんか焼きもちやいちゃいたくなるって変かなぁ」
「普通じゃない? 気持ち、分かるし」
「佳主馬はその問題見てなかったんだ」
「一緒にいたけどね。定員制の鍵つきチャットだったから、僕は入れなかったんだ」

ていいんせい? かぎつき??
と繰り返したら、人数制限があるパスワードがかかってるチャットルームのことだよと簡潔に教えてくれた。
つまり用のないヤツはくるなってことらしい。

「へー……ま、いっか。用があるの、健二くんじゃないし」
「僕?」

初めて相手が私の声に反応して顔を上げた。

「うん、佳主馬に」

こくりと頷きながら、打ち上げられたマグロになっている健二くんをまたいで反対側に着地。ちゃんと互いの顔が見える位置で、ぺたりと膝を落として座り込んだ。
自分は、戦局を読むのは苦手、人の顔色を伺うなんていうのも得手ではない。でも度胸だけは「あんたは私が若い頃にそっくりだからね」と楽しそうに笑って頭をなでてくれた、大好きな栄大おばぁちゃんの折り紙付きだ。
だから、先手必勝と心の中で気合を入れて口を開いた。

「宣戦布告に来たの」
「………は?」

ポカンと口をあけてこちらを見ているなんて間抜けな姿、いっつも世間様を斜めに見ているような無愛想すぎる表情がデフォルトの少年に限って、なかなか見られるものではない。
やった、と内心で拍手喝さい。やっぱり勝負は不意打ちに限る。

「だ、か、ら。開戦宣言よ。健二くんは渡さないんだから」
「何をっていうか、いまさら? この連日どんだけ争ってきたかわかってる? って、ほんとに夏希姉どうしたの。暑さで少ない脳みそとけきったとか」
「ちょっと何気に失礼なこと言ってんじゃないわよ。義務教育も終わってないお子様のくせに!」
「そのお子様相手になに熱くなってんの」
「っ! だ、だって! ……だって佳主馬……本気でしょ? 健二くんのこと」

真っ直ぐに問いかければ、冷たいだけだった深い漆黒の瞳に、ほんのわずかに動揺が走るのが見えた。
そんな自分に気がついたのだろう、一瞬息をのんで、ぱっと視線をそらす。

……あーやっぱり否定はしないんだ。

私は小さく息を吐いた。滅多に他人に懐かない子が、いつもくっついているなんて珍しいなって思っていた。
彼と一緒にいる時とか、次の予定を立てていたりとか、ことごとく邪魔しにきてくれるし、当たり前のようにいつの間にか割り込んでくるし。
でも全力で守ってくれたあんな姿をみせられたら、(現に一族みんながもう当たり前のように健二君を家族として受け入れていたし)尊敬するのだって気に入るのだって自然だと思ってた。でも違う。これは違う。少なくとも、ただの十三歳の子どもが持ちえる瞳じゃない。
一緒にいる時間が多くなったからこそ、同じ人を追いかけていたからこそ、気がつかないでいることなんて出来なかった。
彼をみる、その眼が全てを語っている。

あの日だってそうだった。

近所の神社で夏祭りがあるというので、誰が彼と一緒に行くかで揉めに揉め、祭り同伴権利争奪戦になったのだ。
……まぁ、結局は、

「え、じゃあ一緒にいこうよ。楽しみだなぁ」

という状況を果てしなく理解していない当事者の発言によって、私と佳主馬が戦利品(=健二)を挟んで出かけることで落ち着いたのだけれど。
ちょっとしたサプライズを仕込もうとしていた私は、(気は進まないけれど)二人を待たせて、少し遅れて合流した。
遠目でもひとめで目に入る二人の姿。
足音を忍ばせて近づいた自分に気がつく様子もなく、向かい合って小さく笑いあう二人。
自分に見せるロボットのようなカクカクした動きとは違う、自然で穏やかな空気。
(ずるいって、思うのはおかしいの?)
彼が少年に向ける笑顔がとてもとても優しくて、一人離れた自分が置いていかれたような気がして、胸の奥がすっと冷たくなった。

「あ、夏希先輩」
立ち尽くしていた自分を彼が見つける。
「健二くんそれだめー。夏希ちゃんって呼んでっていったじゃない」
瞬時に表情を切り替えて、にっこりと微笑むと、
「へ、いや、あのそれはっ……」
目に見えて慌てふためいた。
本当に可愛い反応してくれるんだからもう。
「健二さんからかって遊んでないで、用件。夏希ねぇ、待ちくたびれたよ」
「あー、ダメダメ佳主馬。女の子相手には全然まってないよって答えないと、いい男の条件よ?」
「経験皆無な夏希ねぇに、恋愛観語られてもね……」
「かっわいくなぁーい!」

年下の恋敵の容赦ない事実攻撃に憤慨しながらも、私は用意してきた紙包みを肩かけのカバンから取り出した。
簡易包装で包装紙の端から中身が透けて見えてるそれを、まだ「でも呼び捨てになんてできないし」と真っ赤になりながらぶつぶつ言っている彼にむかって差し出す。

「はい」
「は?」
「健二くんに」
「へ?」
「プレゼントなんだって。困るものじゃなさそうだから、受けっておいたら?」

目を白黒させた彼に、淡々とした表情で佳主馬が言い添える。
朝顔柄のうちわに、朝顔柄の手ぬぐい。
クーラーが効いてるわけでもない屋敷の中は、風がないとじんわり暑い。古きよき涼をとる手段として、持っていても困るものではないだろうと思ったのだが、

「あ……はずしちゃった?」

完全に固まってしまった相手の表情に気がついて、恐る恐る声をかけると、彼は小さく首を横にふった。

「違うんです……嬉しすぎて……どういったらいいか……」

震える声で「ありがとうございます」と囁いて、自分の手から紙包みを大切そうに受け取った彼の顔は、先ほどまで佳主馬に向けていたものと同じ全開の笑顔で。
包み込むような微笑に、冷たく凍えたはずの胸の中が、一気にぶわっと暖かくなった。

「……あの、えっと……これね、佳主馬の提案なんだ」
「ちょ! 夏希ねぇ!」

にこにこととけるような笑顔が全力で注がれる状態がむず痒くて、思わずぼそりと告白した言葉を、珍しく慌てたような少年の声がさえぎった。

――恩でも着せようっての?

健二に聞こえないように声を潜めてきた佳主馬に、同じく小声で返し、ついでにしかめっつらしてあげる。

――うっさいわね、黙ってありがたく思ってなさいよ。
――気味悪いでしょ。人が寝てる隙に健二さんとこに夜這いまでかけようとしてたくせに。
――よばっ……! 人聞き悪いこといわないでよ!! ちょっと寝顔をみてみたいなーとか思っただけで別に他意はなかったの! だいたいあのときだってあんたと鉢合わせしたじゃない。どっちが抜け駆けなのよ。
――先手必勝でしょ。でも、ま……あの寝顔見たらどうでも良くなったけどさ。
――うん……なんか、毒気抜かれちゃったよね。だから……健二くんが幸せならそれでいいのっ。
――……夏希ねぇのそういう短絡的なとこ、けっこう好きだよ。

生意気な口をきくくせに、素直で一途。
放っておくと熱中症で倒れそうだから、祭りに行く前にうちわでも買ってあげた方がいいんじゃないかと気がついたのは、佳主馬だった。
そして、それを渡す役を自分に頼んだのは、

(私から渡したほうが喜ぶんじゃないかって、思ったからなのよね……)

大好きな彼に、笑って欲しかったからなのだ。
無表情なくせに、冷たい態度をとるくせに唇の端で小さく笑んで、彼の姿を焼き付けている。目は口ほどにものを言うって、ホントのことだったんだって、理解するしかなかった。
(本当に、彼は、彼を、手に入れたいと、臨んでいる)

「……健二くんね……いつも家では一人なんだって」

はじかれた様に顔を上げ、逸らされていた視線が私に注がれる。

「あ、私だけが知ってるって話じゃないから、安心していいよ」
「……別に、安心とか」
「ふふ、ちょっとすねたでしょ? 佳主馬、健二くんが翔太兄に捕まった時、いなかったから知らなかっただろうけどそのときね、健二くんが栄おばあちゃんに言ったの。お父さんが単身赴任で、お母さんも仕事が忙しくって、家ではいっつも一人だったって。だから、大勢で食べるご飯とか賑やかなのが……嬉しかったって……。あたしね、それ聞いて自分が嫌になっちゃった。ホントにそう思ったのは後からなんだけどね、勝手に引きずり出して、嫌な思いとかいっぱいさせちゃったのに、でも嬉しいとか言ってくれて、守ってくれて……あたし、何やってるんだろって」

だから…と、続けた自分の声は、みっともないくらいに震えてたと思う。

「だから。ちゃんと、今度はちゃんと嬉しいって笑ってくれたらなって思ってる。……そうできるように、したいと思う」

恋とか愛とかはっきりした言葉にはできないけど、好意があるのは本当。この芽がどんな風に育つのかはわからない。わからないけど、一緒にいるのが自分で在りたいと願う。
だからこそ、同じような目で彼をみる相手には、正々堂々と勝負を挑まなければと決意したのだ。たとえ「私のほうが好き」「僕の方が好き」と毎日遠慮もなく叫びまくり、「は? え? ええ??」と意味不明の言葉を繰り返させるほどに挟まれた当事者を混乱の渦に叩き落とし、周囲が「恥じらいってもんがないのかお前らは」とあきれ果てている状態だとしても……。

「……ほんとにさ、卑怯だよね」

ぽつりと落とされた言葉に、はっと我にかえる。

「ずるいんだよ、このひと。ほんと。わけわかんない。すぐに自分を卑下するような言葉を口にするくせに、いきなり強気になるし。弱いのかと思えば負けないとか無謀なこと口にして、むちゃくちゃなことしてるのに全然折れないし……どれほど魅せつけたのか知りもしない、分かろうともしないし……」

乾いた声なのに、ひどく熱っぽく。

「もっと自信を持ったっていいんだって、分からせてあげたいのに……強いくせに、脆くて。見ていてなんとなく、一人にしたくないって、思った」

口元が苦しげに歪んで。
静かな声と反比例するかのように伝わってきた、彼の大きな感情の揺れに耐えられるよう、私は大きく息を吸い込んだ。

「ほんき…ね、貴方」

囁くように繰り返した私の声に応えるように。佳主馬は、今度はしっかりと目を合わせてよこした。

「本気じゃなきゃ、ここにいない」

交わす視線の強さ、言い切る言葉の潔さに、私は……自然と、小さく笑んでいた。だって、ここにいるのは、初めての恋に翻ろうされる一人の少年で見知った親戚の男の子で、どういう因果か恋敵。

「散々言わせといて……何がおかしいの」
「ごめん、馬鹿にしてるわけじゃないよ? ただ、佳主馬がこんなにおしゃべりなのって珍しいなぁって」

無口で負けず嫌いで、OZのマーシャルアーツのチャンピオンっていうこともあってか、勝気で強気で尊大な又従兄弟の男の子。
昔っから無愛想で生意気だけど、けっして人嫌いってわけじゃなくて、小さい子どもたちの面倒はよく見るし、手が空けば大人たちの手伝いだってちゃんとする。騒々しいのとか他人に合わせたり自分のペースを乱されるのが嫌なだけで、どっちかっていうと信頼できる相手には甘い方なんじゃなんじゃないかと思うけど、それでも積極的にみんなでワイワイやっている輪の中に入ってくるようなタイプではない。
冷たいわけじゃない。
けど、必要最低限の関わりで済まそうとするのがいつもの彼のはず……だけど。そうやってると年相応みたいで可愛い、と。
思ったままの言葉を口にすると、

「………っ!」

なぜか相手はかっと頬に朱を走らせて目をそらせた。

「………かずま?」

珍しいことは重なるらしい。
ぽっかりと口をあけてじーっと見つめてると、ぼそぼそと小さな声が聞こえる。

「……いいよ、笑って。自分でもおかしいと思うんだから」

不安なんだよ。
と、さらに小さく、ため息と共につなげられた言葉に目を剥いてしまったのは仕方がないと思う。

「分かってる、つもり。同性だってことで既に十分すぎるくらいだっていうのに、どうしようもできない年齢差とか住んでる距離とか、不利な要素だらけ。言ったってしょうがない。分かってもらえるはずがない。何かがうまれるより先に、壊れるだけだって頭では理解してるんだけど、何かを言葉にしないと、しておかないと……熱に浮かされて、口走ってしまいそうで怖いんだよっ」

私たちの間にとつとつと落ちる静かな声。ようやく耳に届くくらいの小さな声音なのに、まるで叫んでいるように私には聞こえた。
はあ、と自分を落ち着かせるように深い息をつき、顔を上げた彼はもういつものつんと澄ました表情で。一瞬さっきのは見間違いだったのかと思えるほど。

「健二さんが悲しんでるとこなんて、見たくないし。あと……ほんと笑っちゃうけど、僕は夏希ねぇを不幸にしたいわけでもない」

きっぱりと言い切った強い口調に、私は返すべき言葉を見失ってしまう。
自分は、お世辞にも男女の駆け引きなどうまい方ではない。
どっちかと言うと……それを認めるのは年上として女として非常に悔しいのだけれど……この少年の方がそういう機微に長けてしまいそうな気がする。
だけど、私たちは隠れもせずに正面きって火花を散らしている。
周囲のみんながあきれ返っちゃうくらいに、「好きだ」と「自分のものだ」と堂々と健二くんを取り合いしている私たちだけれど、お互いを嫌いなわけではないのだ。
好きだと臆面もなく言い合っていられる、今の雰囲気が楽しいと感じている自分に、気がついていた。
だから、彼に向けるような想いではないけれど、親族として自分のことを好きだからと。そう言ってくれた佳主馬の言葉に、じんと胸の奥が熱く……。

あったかく……ん?
んん?
あれぇ~~???

自分だって一族みんなが大好きだという気持ちは痛いほど分かるし、彼のこともちゃんと親戚として好きだ。
だから心に沁みてきた……のだけれど、よーく今の言葉を咀嚼してみる。

「……ねぇ、佳主馬。うっかり感動しかけちゃったんだけど……なんであたしが敗北決定なわけ?」
「へぇ……割と鈍くなかったね、すごい」
「ちょっと!」
「負ける戦はしない主義だし? そっちが勝負仕掛けるつもりなら、勝つよ」
「あ、あたしだってそのつもり! っていうか、不利だって言ってたのあんた自身じゃないのっ」
「うんそうだね」

不遜な瞳にきらりと走る鋭い光。

「僕を誰だと思ってんの?」
そこにあるのは、闘う事を知っている勝つことの意味を知っている、紛れもない王者の笑み。
こいつは~~~~~~~っ!!!!!
そこへなおれ! ……と叫びそうになったその横で。

「……ん…………」

身じろぐ音と、ぱたりと寝返りを打つ音が同時に響いて、私はあわてて両手で口元を覆う。

「…………涎、出てる。みっともないよね」
「…………ほーんと、だらしないわよねぇ」

起こしてしまったかと慌てた互いの視線の下には、すーと寝息を立てながら幸せそうに眠りをむさぼる戦利品(予定)の姿。自分のほうが彼氏有力候補の相手より年上とはいえ、ほんの一歳差なんてあってなきがごとし。大体こちらは紛うことなきか弱い女性で、相手はいささか線が細いとはいえれっきとした男性であるのに可愛い、とか思ってしまうのはどうしたことか。
そろりと手を伸ばして、佳主馬と同じようにそっと頭を撫でてみる。

あ、結構やわらかい。これはクセになりそう。

手のひらの下にいるのは、誰にも真似できない本当の強さで、世界を救っちゃった私たちのヒーロー。どんなにありがとうって言っても、一緒にいて欲しいって伝えても、自分にはそんな価値などないって思い込んでる頑固で不器用でやさしすぎる人。
もっともっと自然に、自分たちのそばにいてくれればいいのに。

「はい提案。抜け駆け禁止」
「それ、本気で言ってる?」
「もちろん。……五十%くらいだけど」
「自分のことぐらい把握しなよ。夏希ねぇ、できないこと口にしてると信用無くすよ」
「ちょ! なっまいきー!!! 挑戦状たたきつけてもちっとも動じないし」
「十分驚いてるよ」
「どこがよ」
「強敵ってことには変わりないし。まぁ、現状を理解しとかないとね。戦局が見えなきゃ攻略も見えてこないし。焦りはするけど、欲しいって駄々こねるだけじゃ、ただのガキのないもの強請りだし、困らせたくないしね。弱みに付け込むのは簡単だけど、頼って欲しいのに心を見失わせるなんてそれこそ本末転倒でしょ」
「……あんたほんとに中学生?」
「残念ながら」

肩をすくめながら、とんでもないことをさらりといってくれる。
……まぁ、悔しいけど、言ってることは……大体分かる。
ほーっと息をついて、無愛想極まりない相手に向かって私はにっこりと笑いかける。

「ね、佳主馬。約束しよ」

幸せにするって。
誰が、とか。誰を、とか。そんな言葉は必要なく。
交差した視線の先で、ふっと笑いあった。



笑ってくれたらそれでいい。
さみしい思いなんて、させたくない。


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[ 二〇一〇年 八月初旬 ]


たぶん、気がつかなければ良かったのだ。
月明かりに照らされた、あの人の頬に光っていたものが何であるのかを。
そうすれば自分は、もれ聞こえた彼の声が低くくぐもっていたのは、深夜だから声を潜めていただけかと、なんの疑問を抱くことなく。
影の主に気づかれないようその場を離れ、布団に戻って眠りについたことだろう。



日本の惑星探査機が、制御不能のまま世界に点在する核施設のどこかに落下するかもしれないなどという、とんでもない事態に陥って、みんなが力を合わせて世界の崩壊の危機をすんでのところで阻止してみれば、今度は屋敷の頭上に「あらわし」が降ってきた。
すんでのところで進路が逸れて、直撃は免れたものの、屋敷の門構えはふっとび屋根の瓦はあちこち剥がれ落ち、家としての機能はかろうじて果たしているものの、爆風に晒された家の中の有様は散々なものだった。
縁側を中心に本当に応急としかいいようがない処置を施して。
さて、本格的に補修をしなくてはと総出で屋敷の点検をはじめたのは、曾祖母である栄のお葬式(一族のみんなはお誕生会と言い張ったが)を終えた二日後のことだった。

「これって……それ以前に、父さんが漁船を運んできたときに、トラックで破壊してませんでしたっけ」

見事にふっとんだ門の跡地を見ながら、さりげなくザックリ事実を追求する太助の言葉に、万助は漁で鍛え上げたムキムキの腕を組みながら、豪快にガハハと笑いとばした。

「そうだったかぁ? そういうお前だって、借りもんをぶっこしちまっただろうがよ」
「あー、さすがにバレちゃいますよねぇ、このまま納品はできませんよねぇ。どうしようかな」
「ってアンタたち、どうしてそう考えナシなわけぇ? 物事の順番ってもんを考えなさいよ」
「いっそ全部侘助のツケにしちゃうとか、どうどう? このアイディア」
「ねぇちゃん……あいつがいないからって好き勝手言いすぎだろう」
「いいのよあんな勝手なヤツ……って言いたいトコだけど、自分で尻拭いしただけマシって感じかしらねぇ……全額じゃなくても、半額とか、ど?」
「あの、せっかくですから、湧き出た温泉でどうにかする……っていうのはどうでしょう」
「つーか、んなことよりばーちゃんの部屋片付けんのが先だろ!」
「あら、それもそうね。たまにはいいこというじゃない翔太」
「たまには余計だっつーの」

多少どころではない損害を受けた屋敷の縁側で、冗談のような会話を真剣に交わしている大人たちを、自分はやや呆れ顔で眺めていたが、何を言っているのかと無遠慮に話の腰を折るようなことはしない。
こんなに暢気に話ができるのは、一歩間違えば命がないという危機的状況だったにもかかわらず、(犬のハヤテを含めて)一族全員が無事五体満足でいられたからだ。
それが分かっていたから、騒々しい面子からは一歩はなれて、話がまとまるまでしばらく待つことにした。
大人は大人として、子どもは子どもなりに。
出来ることを分担してやるのは、陣内家においてはしごく当たり前のことだったから、間もなく否応なしに仕事が割り当てられるだろうなと小さく息をついて、遠巻きに構えたのだ。

(だから気がついた)

わいわいと騒いでいるみんなを、ひどく眩しそうに見つめて……小さく微笑んでいた『彼』の表情に。
目を細めて笑うその横顔はひどく穏やかで、まるで一族全員の保護者のようだなと思う。
自分よりは年上だが、談笑している大人たちよりは確実に年下なのだから、保護者というのは変か。
保護っていうより、守り神とかの方が正しいのかもしれない……と思いなおし、今は頼りないとしか言いようがないふやけた顔をそっとうかがう。
この人がいなければ、自分たちはあの危機に『負けて』いたのだ。
誰もが諦めていた。もう自分たちには……自分には出来ることはないと、逃げ出しそうになっていた。
なのに、彼……小磯健二だけは違った。

――まだ負けてない。

絶望に怯えることなく、可能性を見つめた強い瞳。

――もう一度解きます!

窮地に立たされた時にこそ発揮される心の強さとか、決して折れない芯の強さだとか、そんなの、反則だと思う。
だからせめて、OMCは絶対に負けてやらないと、自分は心密かに決意していた。
子どもじみた感情だと理解しているが、どこかで彼に優位になっている部分を見つけないと、自分自身の足で立てなくなるような気がしたのだ。
そんなことを言えば、「僕なんかキング・カズマの練習相手にもならないよ」と、彼は慌てるだろうけれど、騒動が落ち着いたら絶対格闘エリアに引きずり出してやる。
勝ち逃げなんて許さない。
挑戦と……ほんの少しだけ(と思いたい)ヒーローへの憧れの気持ちを胸に、もう一度健二の顔を見上げて……。

――あ……れ?

ちくり、と。
微笑む彼の姿に、何か、どこかが、胸に引っかかった。
なんだ? ……と思う間もなく、

「あら、明日にはお客さんがたくさん来るじゃないの。やることたくさん、忙しいわぁ」

ぽん、と手を打ちながら放たれた万里子の一言で、各自が一斉に動き出す。

「大きなものは大人が持ち運ぶこと。瓦礫があらかた片付いたら子どもたちは床拭きね」
「うげー。まーじー?」
「もっと簡単なのがいい~!」
「アンタたち、つべこべ言わないの」

うんざりした顔をする子どもたちとは裏腹に、

「うわー、床拭きなんて何年ぶりだろう」

と目を輝かせる、子どものような高校生男子が一人。
言葉の端に好奇心がにじんだセリフに、親戚のおねえさんである夏希がぷっと吹き出した。

「健二くんてば、そんなこと言ってられるのも今のうちだけよ? 覚悟したほうがいいわよ~、腕がぱんっぱんになるんだから」
「な、夏希先輩。脅かさないでくださいよ……」

微かに青ざめて腰が引けた健二に、

「残念だけどほんと。何度もやったからね、ウチの廊下は長いからやりがいがあるよ」

淡々と事実だけを述べてあげる。
床拭きは肉体的重労働なのだ、心構えをさせておかなければさすがに可哀相だろう。
いくら細かろうと頼りなさそうだろうと、この家において『見学』なんていう選択肢は存在しないのだから。

「そんな、佳主馬くんまで……って、良くやってたんだ?」

みんなでやってたの? と不思議そうに目を瞬かせてた相手の疑問に、肯定の意味を込めてこくりと頷き返す。

「……大おばぁちゃんが、子どもたちを集めて『さぁ、勝負だよ!』って一斉に床拭き競争スタートとか」

ふっと、モップを片手に仁王立ちになった、曾祖母の凛とした姿を思い出した。

「あ、懐かしい。『働かざるもの食うべからず。勝負することに意義があるんだ。みんな頑張んなさい』って、発破かける割には小さい子にはハンデだって半分くらいからスタートさせたりね。それなのに佳主馬ってば、頑なに大きい子達にまざっちゃって、それでもいっつも一番なの」
「勝つのが好きだからね。まぁ、そんな勝負に勝ったところで、貰えたのはアイス選択権とかだけど」
「あははは、ほんと佳主馬は負けず嫌いだよね」

へぇ……と、気の抜けた声を漏らした健二が面白かったのか、夏希はころころと声を上げて笑う。
ぱっと咲いた向日葵の花のような笑顔の夏希は、身内の贔屓目を差し引いてもみても、かなり可愛らしいと思う。
もともとの人間不信に加え、あまり色恋といったものに興味がない自分でも、いつもハツラツとしていて美人で面倒見の良い親戚のお姉さんに、ほのかな憧れを抱いていた時期があったくらいだ。
人付き合いを意識して避けている自分とは違い、学校では相当人気があるんだろうなと、容易に想像できる。
事実、健二が夏希を見る目には明らかな好意があって、彼女の方も大勢の目の前で大好きだと叫んだ彼に対して「嬉しい」と頬を赤らめたいたくらいだ……。その直後のほっぺたにキスくらいで鼻血を噴出して倒れるという、とてつもなく情けないおまけがついたが……。
普通に考えて、彼女のような可愛い女子に、想いを寄せられて嬉しくないはずがない。

「大変そうだけど、楽しそうですね」……と。
続けられた声に、本当にこの人暢気だなと思った瞬間、何故かイラっとした塊がノドの奥にこみあげてきた。

(――なんで?)

根拠のない不快感に眉をひそめ、ため息で誤魔化そうと横を向いた瞬間……目に入ってしまった彼の表情に、またしても自分は「あれ?」と口の中で小さく呟いた。
嬉しそうだ、楽しそうだ、それは間違いない。
けれど、何故だろう。どこか……

「おーい、床拭き隊。集合がかかってるぞー!」
「はぁーい、いまいきまーす。んじゃあ、健二くん、佳主馬、行こっか?」

表庭から自分たちを呼ぶ理一の声と、呼び声に答えつつ腕まくりをする仕草をする夏希に促されて、足を踏み出す。
喉元に引っかかったトゲのようなそれは、直後にはじまった怒涛の掃除三昧で、すっかり自分の中から抜け落ちていた。


ほんの少し感じた違和感。
この時に、気がつけていたならば良かったんだろうか。
もっとちゃんと、向き合えていたら良かったんだろうか。
そうすれば、僕はもっと……気がつかされてしまった『恋』という感情のままに、動くことができたのだろうか……?


彼のことが気になって仕方がなくて。
ほんの二日ばかりの間なのに、夏希と一緒にいる姿を見かけるたびに、どうしようもないほどにイライラして。
「宿題見てよ。それくらいできるんでしょ、高校生なんだからさ」と、普段は口にしないような我がままを言ってみたりとか、「夏希ねぇにいいとこ見せようと思ってんじゃないの? 馬鹿みたい」とか、必要以上に攻撃的な口調になってしまう自分に気がついて。
それでも、懲りずに「佳主馬くんはすごいなぁ」なんて、へにゃりと笑いかけてくれる彼の笑顔に息が止まりそうになって、それはアンタのことだろう! と怒鳴りつけそうになる衝動を必死でこらえた。

 ――負けたんだよ!

家族を守るために、絶対に勝たなければいけなかったのに。その大事な場面で自分は叩きのめされ、打ちひしがれ、自分自身すら見失っていた。

 ――あきらめたら解けない。答えは出ないままです。

混乱と困惑が迷走する中で、立ち止まってしまいそうになっていた『自分』を見つけてくれて、本当の強さを教えてくれた人。
真の強さを持った人は誰だったのかなんて、あの場にいたみんなが知っていることだ。
それなのに、彼は笑う。

「あの時、夢中だったからよく分からなくて。今だから言えるんだけど……多分僕が、生まれてはじめて、『守りたい』って強く願ったことなんじゃないかって思うんだ。だから……そういう願いに気がつかせてくれたのは、佳主馬くんなんだよ」

佳主馬くんが家族を守ろうって立ち上がってる姿で、気がつくことができたんだ……と。
「ありがとう」を口にする彼の声に――ぎゅうっと、胸が締め付けられた。
どくんどくんと、全身が心臓になってしまったみたいに大きな音がした。
どうしてか、なんて考えるまでもない。とっくの昔に……最初から、答えは出ていた。

参っていたのだ、彼という存在そのものに。


だからだろう。
夜更けにのどの渇きを覚えて、麦茶を取りに台所まで行った帰りに、ふと話し声が聞こえた気がして客室近くの部屋をのぞいてみれば、想いを自覚したばかりの相手が内庭の縁に腰掛けているのが見えて。
誰かに電話をしているのだと気がついて、思わず足音を忍ばせて柱の影に隠れてしまったのは。
……別に、盗み聞きをするつもりはなかった。
薄明かりの彼の姿が、何だが儚げでとても綺麗に見えて、ほんのちょっとでも長く、彼の姿を見ていたくなったのだ。
初めて本気で好きになった相手が、四歳も年上で同性でおまけに手ごわい競争相手はとびっきりの美人。
自分の手持ちはこれ以上はないというほどのマイナスのカードばかりだ、少しぐらいハンデをもらったって許されるだろう。
言い訳にもならないことを胸の内に並びたてながら、少しだけ……と、ひっそり息を詰めて相手の姿をうかがう。
だから、自分は聞いてしまった。

 ――母さん? ごめんね、仕事が忙しいのに……あ、うん、そう、そうなんだ。……ごめん、連絡遅くなって。今日ようやく携帯新しくしたから……うん、代替機を用意してもらっただけだから、まだ仮になんだけど。は? え? そ、そうなの? ニュースで……ああ、そっか、そうだよね。母さん全然知らなかったんだ……えっと、じゃあ簡単にだけど……で……ということになってね……。

母さん、と彼は囁くように口にした。
どうやら、自分の母親に事の次第を連絡しているらしいと検討をつける。
そういえば、家に連絡しなさいねと散々せかした万理子の言葉に「今は……多分連絡つかないので。後で必ず親には説明しておきます」と返していたことを思い出す。
起こったことを淡々と事実だけ説明している彼の口調は、丁寧なのだけれど、どこか事務的めいて。
普段はゆるやかな印象を受ける健二らしくないなと、思ってしまった。
もちろん、ほんの数日間で彼について分かったことなど、高が知れているのだけれど。

 ――仕方ないよ、仕事の都合なんだし。うん、この時間なら起きてるだろうなって思って……え? は? そ、そんなこと思ってないよ、何言ってんのっ。

お、と思う。
電話相手のセリフに驚いたのか、少しだけ声のトーンが上がった。

 ――もう、冗談はやめてよ。ほんとに思ってない、尊敬してます。母さんの言葉って心臓に悪いんだってば。

軽く責める様な口調には、明らかに先ほどまでとは違う、砕けた親しさがにじんでいる。
ああ、さっきまでの固い口調は彼なりに緊張していたせいなのか……と気がついた。
それはそうだろう、親に対するものとはいえ、説明するのも大変な大事に巻き込まれてしまったのだ、理解してもらうのだって一苦労だろう。
身構えても仕方がないと納得し、許可を得たわけでもないのに、家族間の話をこれ以上立ち聞きしているのはさすがに悪い気がしてくる。
ここで、さっさと場を離れてしまえば良かったのだ。
……だけど、自分は見てしまった。

 ――うん、うん………うん? え、えっと、多分それくらいの時間なら万理子おばさんも起きてると思うけど……え、でも母さん、仕事は……だけど……うん………はい……。

だんだんと、小さくなる声。
何かがノドにつかえたかのように、掠れる息。

 ――そんなこと……思ってもみなかった……よ。うん……。

小さく鼻を啜る音。
口元から電話機が離れたせいか、微かに彼以外の声が耳に届いた。


   『お疲れさまでした。健二、よく頑張ったね』


低く、落ち着いた女性の声に、彼の肩が小さく揺れた。

たぶん、気がつかなければ良かったのだ。
月明かりに照らされた、彼の頬に光っていたものが何であるのかを。
透き通る光がぽたりと地面に吸われたところなど、声を殺してむせび泣いている姿など、そんなのを見なければ……きっと僕は、内にともされた熱のままに、彼を追って、求めて、縋って、自分だけの檻に閉じ込めてしまおうとしていた。

 ――犯罪者と誹られ、絶望的な状況に追い詰められようと、心の支えになっていた栄おばぁちゃんが亡くなった時も、彼は一度として涙を僕らに見せなかった。

あの事件の最中、僕らは誰よりもお互いの存在を身近に感じ、かけがえのない連帯感を感じていた。
「みんなで囲む食卓が楽しかった」と言ったという健二の言葉は、本心だったのだろう。事実、彼はとても楽しそうにこの屋敷に滞在し、みんなの輪に加わっている。

(けれど、僕たちだけでは全然足りない?)

母親の労いの言葉で、せき止めていたかのように涙をあふれさせた彼。
その事実が、僕を打ちのめす。
身体を突き刺すようなこの想いは、何だというのだろう。
胸の奥が熱くて痛くて苦しくて。愛しいと思うのに、泣き出したくなるくらいに切ない。


  笑っていて欲しい。
  幸せでいて欲しい。


願うのは、ただ、それだけ。
この瞬間、僕は感情のままに動くことを放棄した。




次の日、みんなが揃った朝食の席で、

「朝早くに健二さんのお母様から電話があったの。それはもう丁寧なご挨拶で、健二さんが礼儀正しい理由も分かるわねぇ」

感心したように万理子が口にして。
健二が慌てて「そんなことはない」と恐縮するのを、一族のみんなが「まーた健二の否定がはじまった」と大笑いして。

「母さんがここに電話してくるなんて思わなかったから……」

照れたように頬をかいて微笑んだ相手に、

「良かったね」

と返した自分は……うまく笑えていただろうか。


[SW] LLC 1

[ 二〇一〇年 ?月?日 ]


ポーン……
つけっ放しのパソコンから、メール受信を告げる電子音が聞こえる。



件名 あおいとり [bluebird]
本文 あなたのたいせつなものはなんですか? [What is an important one for you?]



メッセージを開くと短い一文とともにぽこん、と軽快にダイアログバルーンが立ち上がる。
メールを受け取るだけで添付のソフトウェアが展開されるようになっているらしい。ウィルスソフトによくある手段だ。
最近ニュースや掲示板で良く目にする件名は、OZで流行っているという例のウィルスのものだ。
ウィルスとはいっても、対処法も報じられているので問題はない。
ダイアログには「はやく(Hurry up!)」と入力を急かす文字が浮かび上がってきた。
入力してしまおうとキーボードの上に手を置いて……ぴたり、とその手が止まった。

無言のまま画面を見つめて、何度もメッセージを読み返す。
ぼんやりと青白く光るモニターでは、入力を待っているカーソルが、いつまでもサインのように点滅していた。




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