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[SW] LLC 9

みどり、緑、翠……一面まばゆいばかりの緑色。
それが、指定されたプライベートルームの第一印象だ。

『エメラルドの国ってわけ? ふざけてるわねぇ』
『メガネは渡されないみたいだけどな』

周囲をきょろりと見回した理香がため息をつき、克彦はアイテム欄を開いて肩をすくめた。
オズの再現か……と呟いたのは誰だっただろうか。
左右どことか、天地も曖昧な緑だらけの空間に、石畳のような白いマス目が転々と続いている。

『どうやら、謁見の間に続いてるみたいだな』
『やーね、もったいぶっちゃって』

行く先を見つめて理一が呟いたのを、むっとしたような夏希の声が答える。

『この先のようですね』

行きます……と足を踏み出した直後。
だんっ!
弾力のある何かにぶつかったような、鈍い衝撃音が響いた。

『えっ! ちょっと、何コレ!?』

叫んだのは自分ではない。驚愕のあまりに裏返っているが、これは太助の声だ。
振り返ると、ほんの数歩しか離れていないはずのみんなの姿が、数十メートルほど離れて見える。
だんだんっ! と繰り返し音が聞こえるのは、誰かが目の前に現れた見えない壁を叩いているせいだというのが、かろうじて分かる。

『健二さんっ!』
『健二くんっ!』

引きつったような佳主馬と夏希の叫び声に、僕は意識してゆっくりと唾を飲み込んだ。

『大丈夫、落ち着いて。オズの再現って、さっき誰かが言ってたけど、たぶんそういうことなんだと思う。きっと、オズの王様に会えるのは一人だけなんだ』

予想よりはずっと早かったけれど、きっと自分だけがボスに相対することになるだろうというのは、想定していたことだ。
むしろ、完全に切り離されるかと覚悟してのに、みんなの姿は見えるし、会話は切られていないだけマシだとも思う。
ざわざわと揺れるみんなの動揺を背に、僕は道の先を見据えた。
さっきまでは遠かったはずの玉座は、もう目の前だった。
まっすぐに前を見て足を進めると、玉座だと思っていたものが、何か巨大な塊であることが分かってきた。
(っていうか……これ、顔……?)
どうみても巨大な顔。
石造りにみえる無骨な顔だけが、緑色の空間の中にぽつんと置かれているのだ。なかなかシュールな光景である。

「……佐久間の同類だねぇ……」
「あほかお前! 何余裕ぶっこいてんだよ」

素直な感想を口にしたら、間髪いれずに怒られた。
はっと姿勢を正してモニターに向き合う。確かにのんびりしている場合ではない。
石の顔がゆっくりと浮かび上がり、重々しい声があたりに響いた。

『来たか……よくぞここまでたどり着いたな』

初老の男性と感じられる少ししわがれた声の主に向かって、僕は小さくお辞儀を返した。

『はじめまして。僕はケンジです。えっと、貴方は……』
『私の名は……ふむ……「キング」では、そこの少年と混同してしまうか』

石の顔の、口の端が歪んだ。
笑っているのだろう、誰が誰かを全部理解しているぞ、とでも言いたげなニュアンスを滲ませている。

 ――さっすが親玉、感じわるいわ。

理香のあけすけな物言いに苦笑しつつ、僕は腕組をしながらうーんと声を落とした。

『そうですね。オズではOZと混ざっちゃいますし……あ、じゃあ。「王様」って呼びます』
『ほう……なるほどな。それでよかろう』

感情が読み取れない訥々とした声に、ざっと背後が色めき立った。

 ――だからいちいち偉そうな口効くんじゃねーよ、ムカつくったらよぉ!
 ――翔太兄、いちいちうるさい。
 ――実際、相手はとても偉いみたいだからね。多少は仕方ないかな。
 ――理一が言うとやけに説得力あんのよね。あと、涼しい顔してアンタも相当ムカついてんでしょ。

観てるだけというのがもどかしいのだろう。
苛立たしげなみんなの声に、少しばかり申し訳なさを覚えつつ、僕はしっかりと王様と向き合った。

『さてケンジ、ここに来たという時点で、君の用件はもう済んでいるはずだ』

決まった口上を読み上げるように、石の顔は淡々と言葉を並べる。

『君は私と直接合うことで、事の重大さを認識した。見えない相手よりも、見えた相手はより強大だっただろう? ほんの少し権力に顔が利く程度では太刀打ちできない相手だと理解したはずだ。下手に逆らうよりも、大人しく我々の保護を受けた方が何の問題もないと悟った。違うかね』

 ――勝手なこと言わないでっ! 誰があんたなんかに健二くんをおぉぉおおおっ……むぐっ。
 ――克彦ナイス。そのまま夏希を抑えて。
 ――誰かキングもよろしく。無言で壁を連打するのまじ怖いっす!

不穏な言葉が聞こえた気がするけれど、僕は振り返ることなく相手を見据えた。
じっと王様の顔を見上げて、ゆっくりと、でもはっきりと左右に頭を振る。

『違います』

硬く厳つい石の眉が、不快そうにピクリと動いた。

『違う? 何がだね。君は私と戦いにきたわけではないのだろう。言っておくが、私はゲームなどという愚かしいに行為に興じるような真似はしない』
『分かっています。貴方はそんな小細工が通用するような相手じゃない。でも……戦うことだけが、勝つってことじゃない』
『ほう……?』

相手の口調に、はじめて興味深そうな色が滲んだ。
さぁ、ここからが肝心だ……と、僕は両手をぐっと握り締める。
(大丈夫、諦めない)

 ――大丈夫、あんたならできる。

記憶の中の、懐かしく暖かい声が、そっと僕の背を押してくれる。
すうっと、大きく息を吸い込んで、僕は王様に向かって口を開いた。

『だから王様。僕と、取引してください』

取引?――訝しげに繰り返す相手を、肯定の意思を持ってまっすぐに見つめ返す。

『そうです。僕は貴方に、僕自身の自由と僕の大切な人たちの絶対的な安全を要求します』

ふははは……と、王様の口が大きき開き、小さなつむじ風のような笑い声が空気を揺るがした。

『まさかそうくるとはね、なかなか笑わせてくれる。突拍子もない提案だが、まぁいい……聞いてやろう。それで、君は私に何をくれると言うのかね?』

取引というならば、相応の対価が必要。
それなりの魅力のある条件を用意できるのか……と、侮りを隠そうともしない相手の言葉を、ひどく冷静な気持ちで受け止めていた。
自分を守ろうと働きかけてくれた、大切な人たち。
僕は、みんなを守るためなら、
(たぶん、惜しいものなんてない)
そのかわり……と、言葉を続ける自分の姿を、固唾を呑んで見守ってくれている気配を感じていた。

『そのかわり、僕は、僕の大切なひとたちを守るために、自分の能力を使いません』

小さく息をついて、震えそうになる声にぐっと力を入れる。

『いうなれば、大切な人たちの安全が人質です。もしその約束を僕が破ることがあったら……その瞬間から、OZと完全に切り離してください』

 ――えっと……それって、どういう?

困惑もあらわに呟いたのは夏希だろうか。答えがないのは他のみんなも同様に戸惑っているからだろう。
きっと、今の自分の言葉の意味をちゃんと理解している人は少ない。
それでもやっぱり、
(分かっちゃうよな……)

 ――健二……お前、自分が何言ってるのか本気でわかってんのかよ。性質悪いにも程があるっての。
 ――健二くん、それは自殺行為に等しいよ。

怒気をはらんだ親友の声に、わずかに強張った聡明な大人の声。
そして、少しだけ震えている、少年の声。

 ――そんな、健二さん……ひとりになる気……? 馬鹿じゃないの、そんなの、そんなふざけた自己犠牲なんて、誰も望んでないっ!

(うん、馬鹿みたいなこと言ってるって思う)
政治に経済、公共機関に民間企業、生活基盤の全てが仮想都市と密接しているいま、OZに関わらずに生きることは非常に困難だ。
無人島や文明的要素を一切排除したとんでもない僻地にでもいるのなら話は別だが、電脳文化が発達しているこの国で生きる以上、OZとのつながりを完全に遮断されるというのは、生活をするなと言っているに等しい。
大げさに言えば、今の自分の言葉は生死の権限を相手に委ねているようなものなのだ。
約束を破った時という条件をつけているとはいえ、自分の身を差し出しているような内容に気がついた彼らの衝撃は、如何ばかりのものだっただろう。
心配をかけてしまったという思いがちくりと胸を刺したが、
(でもごめん、もうちょっとだけ待って)
握り締めた両手にもっと強く力をこめて、僕は石の顔をきっと見上げた。
言い逃れも言い訳もしない。
今はまだ、自分にしかできない戦いをしなくてはならないのだから。

『おかしなことを言う。その条件で、私に何の得があるというんだ。私たちは、君の能力が全て欲しいと望んでいる。そのことを君が理解していないとは思えないんだがね』
『分かってます。でも、貴方は、僕についてとても重要なことを知りません』
『何を、私が知らないと言うのかな』
『王様の欲しがっている僕の力が、大切な人たちを「守る」時にだけ使えるって事をです』

きっぱりと言い切った僕の言葉に、驚いたのか、呆れたのか。
石の口がぱっかりと開いて、ふさがらなくなった。

『考えてたんです、ずっと。数学オリンピックで代表になりそこなって、ラブマシーンの時だって一番最初のパスワードの答えは間違っていて。いつもいつも僕は大切な時に間違えてしまうのは何故なのかって、親友には散々しつこいって言われたけど、どうしてなのかって考えることが、僕にとって必要だった……』

肝心なところで間違ってしまう。大事なところであと一歩届かない。あきらめたくないくせに、あきらめたふりをして、いつまでも届かなかったあと一歩を、ため息混じりに羨望の眼差して見つめてる。
それが自分だった。
考えすぎるクセや、自分に自信を持てなくて迷ってばかりいるのは、情けないけれど今も変わらない。
だけど、分かった。あの夏の日々で、僕はとても大事な事を学んだ。
あきらめないことを教えてくれた人がいる。
あきらめない自分を支えてくれた人がいる。
大丈夫だ、一緒にいるからと、励ましてくれた人たちがいる。

『あきらめなさんなって、あきらめないことが大切なんだって、栄おばぁちゃんが教えてくれました。そのあきらめない気持ちを支えてくれるのが、ずっと僕を応援してくれたみんなだった』

信じてくれているから、信じられた。
あんなに必死になれたのは、大切な人たちを守りたい、その想いだけが自分を動かしていたから。

『間違わずにいられたのは、みんながいてくれたからなんです』

大切な人たちを守るためだからこそ、答えを「あきらめない」でいることができたのだ。

『僕の能力が欲しいって言ってますけど、それってまだまだ先のお話じゃありませんか? 今OZで重要なのは、セキュリティの向上ってことだと思います。世の中にはもっとずっとすごい人がいるとは思いますけど、パスワード解除と言う点での心配なら、さっきも言った通り僕は手を出しませんし、万が一関わってもそのときは貴方がたの手に委ねます』
『ふむ……では、こうは考えなかったかな』

ざわり……と空気が揺らぐ。

 ――なによあのどでかい頭……サイ?
 ――なんだありゃ、目が五個もあるな。縞文様が五つならイサキなんだが。
 ――誰が魚の話してんだよじーちゃん! 目どころか腕も足も五本あんじゃねーか。ありゃ化けもんだって!

王様の顔がボロボロと崩れ落ち、瓦礫と化した石の代わりに、もう一回り大きな奇怪な塊が徐々に姿を形作る。
物語の怪物さながらに、恐ろしいメタモルフォーゼを遂げた相手を前に、僕は一歩も動かずその場に留まった。

『一人も複数人も同じこと。集まっているならちょうどいい、まるごと取り込んでしまえばいい話だ、そうだろう?』

ぐわぁと大きく口が開き、真っ赤な口の中と、ぎらりと光る開く牙が目前に迫ってくる。

 ――健二くん、逃げてーっ!

夏希の甲高い悲鳴が空間を切り裂く。
世にも恐ろしい獣が自分に牙をむいているというのに、奇妙なほどに冷静でいられる自分を感じていた。
猛然と襲いくる牙の勢いが、鼻先数ミリのところでぴたりと止まった。立ち尽くす僕の目の前で、赤い口が揺れ動く。

『何故逃げない』
『その必要がないからです』

黒電話を手に、凛と背を伸ばした彼の人の姿を思い出し、すっと背筋に力を入れる。

『ケンジ、君の言っていることは全て奇麗事の夢物語にすぎん。まったく論理的ではないし、甚だ不条理だ。そんな不合理な話に、本気で私が乗るとでも思ったかね』
『AIなら無理です。でも、貴方は人だ。人と人との絆の強さを知っている、人間です。……そしてコミュニケーションを何よりも大事にしている、OZという理想都市を支えている人でもあります』
『…………』
『僕は、人と人とが、言語や地域や距離を越えて「つながる」場を与えてくれている貴方が――OZが、僕と、大切な人たちを、切り離したい訳じゃないって思っています。だから、逃げる必要なんてないし、みんなで一緒に来たんです』
『……世迷いごとを、次から次へと、良くもまぁ……』

くくっ……と、苦笑にも似た小さな笑い声が周囲に落ちて、怪物の姿が徐々に薄れてゆく。

 ――今度は、人間型か?

疑問符を帯びて落ちた克彦の言葉どおり、巨大な塊がどんどん小さくなって、今度は小柄な人物が目の前に現れた。
緑色の空間の中の、翠色の玉座に、さも当然のようにゆっくりとその人物は腰掛ける。
王冠は戴いていないが、中世風のゲームに出てきそうな灰色のローブをすっぽりと頭から被っていて、顔は良く分からない。
ローブ姿になった王様が、すっと手を上げて僕を指差した。

『……私の知り合いに、君と良く似た人がいたよ』

裾からでた指先には、それほどシワが刻まれていない。
老人のような姿だが、先ほどまでより幾分か若い男の声が響く。
口調は強いのに、訥々と続くその声は、どこかもの悲しげに僕の耳に聞こえた。

『人と人とが言語や距離を越えて、何の垣根も障害もなく共存出来る場をつくる。世界にはいろんな人がいるからこそ、つながっているということが大切だと。コミュニケーションが何よりも大事なんだと、夢物語のような理想が口癖だった』
『OZの、初期のスタッフの方ですね』
『……古い、記憶だ……』

その人は今どうしているのか……と、疑問が心によぎったが、口にすることはできなかった。
これはきっと、王様がとても大切にしている思い出だ。他人がずかずかと踏み込んで良いものじゃない。
だから、質問の代わりに僕はもっと今にふさわしい、建設的なセリフを口にすることにして、声を張り上げた。

『あの、自由に関してだってずっと……というのはさすがに無茶だと思いますから。僕がちゃんと将来について考えられるまででいいです。もしかしたらOZに行きたいって思うかもしれませんからね』

そのときにまた話し合いましょう! ……と続けた声は少々裏返ってしまったが、そこはご愛嬌だろう。
妙な度胸が据わってしまっているが、こっちだってかなりの緊張を強いられているのだ、そろそろ張った糸も緩もうというもので。
(吉と出るか、凶と出るか)
ばくばくと高鳴る鼓動が聞こえなければいいと思いながら、じっと相手の答えを待つ。
突然、「ははははっ」……と、豪快な笑い声が空間に反響し、耳をつんざいた。
今までのようなどこか陰を含んだものではない、とても自然な笑い声に、はっと目を見張る。

『いいだろう。君の話に乗ろうじゃないか』

ひとしきり笑い声が周囲に満ちた後、呼吸を整えた王様が僕に向き合った。

『ほんとですかっ!?』

 ――ちょっ、なにその超展開。
 ――いや成り行き的にはありだが、健二くんなかなか飛ばしてくれるね。
 ――さすがばーちゃんが認めただけのことはあるわぁ。 
 ――いやー、それにしても想像の域を超越しすぎですけどねー。

一気に好転した事態に、息を潜めて見守ってくれていたみんなの声も漏れ聞こえてくる。

『ただしあくまでも取引だ。ケンジが条件を逸した行為をとったという確認がとれれば、私はすぐにそれなりの行動をとらせてもらう』
『はい、約束は守ります』

頷いて宣言をした僕に、よかろう、と王様もはっきりと頷き返した。

『では君を待つ人々の所へ送ろう……ああ、そうだ。もうひとつ私から条件があるんだが』
『何ですか?』
『新システムの稼動前に、安全性確認の協力を頼めるかな。それくらいなら契約違反にはならないだろう?』

フードに隠れて顔は見えないはずなのに、彼が悪戯っぽく笑ったような気がしたのは気のせいだろうか。
確かに、セキュリティチェックをOZでのバイトの延長と思えばおかしくはない。
くすりと笑って、「分かりました」と承諾の意をしますと、

『ではそのときに改めてこちらから連絡させてもらうよ。冬には新システムへの移行が決まっているのでね。このアドレスは、直に使えなくなる……よろしく頼む……』

王様の声が最初の石の顔の時のような、重々しい口調に切り替わってゆき、王様の姿がどんどんぼやけていって……代わりに、僕の目の前に光の輪が現れた。
みんなの所に送ってくれると言っていたから、これがその入り口なのだろう。
そう思って、光の中に踏み出して、あれ? と足を止めた。
(いま、何かが引っかかったんだけど)
一瞬よぎった違和感に首を傾げるが、はっきりとは浮かんでこない。
何だったんだろう……と、もっと深く考えようと思った僕の思考は、ものの見事に中断された。
心理的にも――物理的にも。

『あんたってほんと一見無害なふりして規格外物件すぎんのよ!』
『良くやったー! さっすがうちの一族だ、男はこうでなくちゃいかん!』
『見てるほうが方がドキドキしたよ。健二くんって割と大胆だよねぇ』
『健二くん、わたし、わたし……信じてたけど……無事でよかった……』
『よくやった……と言いたいけど、女の子を泣かせちゃいけないなぁ、健二くん』
『いや、さすがにもうだめかと思ったよ、さすがラブマシーンと渡り合っただけのことはある』
『ばっかやらろう! 決めんならとっとと決めやがれ! 無駄な心配かけさせやがってふっざけんな!』
『有限実行なんて、割といいオトコの条件そろえてんじゃない……なんて言うわけないでしょこの馬鹿!』
『健二さんって……どうしてこう無茶苦茶なんだよ! ほんっと信じられない!!』
『馬鹿につける薬はないってね』

異口異音。
歓喜に満ちた声とともに、四方八方、十方向から伸ばされた手が腕が足がリスの身体をつまみ上げる。捻じ曲げる。押し下げる。担ぎ上げる。引っ張り回す……ぷちっ。

「あっ」

――愛の重さに、つぶされました。






見事にひしゃげて目を回している自分の分身を見つめながら、はははとひそやかに声を落とす。
(良かった、本当に良かった)
緊張感から解き放たれて、ほうっと息をついていると、

「うまく行ったから良かったようなものの、見てたこっちはひやひやもんだったぞ、オイ」

恨めしげな低い声とともに、にゅっと目の前に生えた腕に、がっと首を後ろから羽交い絞めにされた。
勢いでのけぞった首筋に、佐久間の腕が容赦なくぎゅーっと食い込む。

「いたっ! いだだだだっ! さくま、いたい、いたいよっ!」
「痛くしてやってんの。とーぜん」

俺たちの心痛を思い知れ……と言い捨ててようやく手を離してくれたので、赤くなった首をさすりながら、ケホっと涙目で空セキをした。

「悪いとはおもってる。でも、勝つつもりでいたからね。それに……覚悟はしてたよ」
「覚悟? なんの……」

言いかけた相手は、はっと何かを思いついたように僕の顔を凝視した。

「そういや、お前の親父さん、えらく辺鄙なとこに海外出張してたよな……通訳の域を超えてて、もう永住すんじゃねーかってくらい現地になじんでるって。連絡手段もロクないようなとこだから、OZ関連のシステムは一切使えなくって、お前んとこのかーさんがサポートスタッフとして現地時間で働いてるって」
「わー、佐久間。一度しか言ったことないのに、よく覚えてるね」
「語学オタクの子が数学オタクだなんて、強烈過ぎて忘れられるかよ!」

ったく、だからお前は嫌なんだよ……とぶつぶつ文句を言う相手に、だからごめんって、と謝り倒す。
あくまでも自分の能力を目的とするのなら、(自分にそんな価値があるとは到底思えないのだけれど)他の国に自分自身を売りつけにいくくらいのことを決意していた。
もしも交渉がうまくいかなかったら、自分の方から即座にOZとのつながりを絶つ覚悟をしていた。
その考えをまとめられたのも、この親友が、先に先にと手を打ってくれていたからだ。

「佐久間……ありがとう」
「は? なんだよ気持ちわりーな。そういうのはさ、ほれ、あっちの面子にいってやれよ。今のがバレたら、お前確実に袋叩きだからな」

佐久間の声にうながされてモニターを見ると、どうやら目を回していたリスが目を覚ましたらしい。
手足をばたばたさせて起き上がろうとしている僕を、夏希と佳主馬がわれ先にと手を差し出そうとしていて。
結局太助に頭を支えてもらって、よっこらせとフラフラながらに立ち上がっていた。

「うわ、それは内緒にしといて。……怖いから」

顔をひきつらせた僕に、軽やかな笑い声が返ってきた。

 ――よろしく頼むよ。

栄に託された言葉がくっきりと頭の中によみがえる。

(ぼくは、ちゃんとみんなを守ることができましたか?)

もちろん、僕の声に答えはないけれど。
あの日と同じ笑顔で、笑ってくれているような気がした。





(クロスリミテッド/終)


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