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[ 二〇一〇年 八月初旬 ]


たぶん、気がつかなければ良かったのだ。
月明かりに照らされた、あの人の頬に光っていたものが何であるのかを。
そうすれば自分は、もれ聞こえた彼の声が低くくぐもっていたのは、深夜だから声を潜めていただけかと、なんの疑問を抱くことなく。
影の主に気づかれないようその場を離れ、布団に戻って眠りについたことだろう。



日本の惑星探査機が、制御不能のまま世界に点在する核施設のどこかに落下するかもしれないなどという、とんでもない事態に陥って、みんなが力を合わせて世界の崩壊の危機をすんでのところで阻止してみれば、今度は屋敷の頭上に「あらわし」が降ってきた。
すんでのところで進路が逸れて、直撃は免れたものの、屋敷の門構えはふっとび屋根の瓦はあちこち剥がれ落ち、家としての機能はかろうじて果たしているものの、爆風に晒された家の中の有様は散々なものだった。
縁側を中心に本当に応急としかいいようがない処置を施して。
さて、本格的に補修をしなくてはと総出で屋敷の点検をはじめたのは、曾祖母である栄のお葬式(一族のみんなはお誕生会と言い張ったが)を終えた二日後のことだった。

「これって……それ以前に、父さんが漁船を運んできたときに、トラックで破壊してませんでしたっけ」

見事にふっとんだ門の跡地を見ながら、さりげなくザックリ事実を追求する太助の言葉に、万助は漁で鍛え上げたムキムキの腕を組みながら、豪快にガハハと笑いとばした。

「そうだったかぁ? そういうお前だって、借りもんをぶっこしちまっただろうがよ」
「あー、さすがにバレちゃいますよねぇ、このまま納品はできませんよねぇ。どうしようかな」
「ってアンタたち、どうしてそう考えナシなわけぇ? 物事の順番ってもんを考えなさいよ」
「いっそ全部侘助のツケにしちゃうとか、どうどう? このアイディア」
「ねぇちゃん……あいつがいないからって好き勝手言いすぎだろう」
「いいのよあんな勝手なヤツ……って言いたいトコだけど、自分で尻拭いしただけマシって感じかしらねぇ……全額じゃなくても、半額とか、ど?」
「あの、せっかくですから、湧き出た温泉でどうにかする……っていうのはどうでしょう」
「つーか、んなことよりばーちゃんの部屋片付けんのが先だろ!」
「あら、それもそうね。たまにはいいこというじゃない翔太」
「たまには余計だっつーの」

多少どころではない損害を受けた屋敷の縁側で、冗談のような会話を真剣に交わしている大人たちを、自分はやや呆れ顔で眺めていたが、何を言っているのかと無遠慮に話の腰を折るようなことはしない。
こんなに暢気に話ができるのは、一歩間違えば命がないという危機的状況だったにもかかわらず、(犬のハヤテを含めて)一族全員が無事五体満足でいられたからだ。
それが分かっていたから、騒々しい面子からは一歩はなれて、話がまとまるまでしばらく待つことにした。
大人は大人として、子どもは子どもなりに。
出来ることを分担してやるのは、陣内家においてはしごく当たり前のことだったから、間もなく否応なしに仕事が割り当てられるだろうなと小さく息をついて、遠巻きに構えたのだ。

(だから気がついた)

わいわいと騒いでいるみんなを、ひどく眩しそうに見つめて……小さく微笑んでいた『彼』の表情に。
目を細めて笑うその横顔はひどく穏やかで、まるで一族全員の保護者のようだなと思う。
自分よりは年上だが、談笑している大人たちよりは確実に年下なのだから、保護者というのは変か。
保護っていうより、守り神とかの方が正しいのかもしれない……と思いなおし、今は頼りないとしか言いようがないふやけた顔をそっとうかがう。
この人がいなければ、自分たちはあの危機に『負けて』いたのだ。
誰もが諦めていた。もう自分たちには……自分には出来ることはないと、逃げ出しそうになっていた。
なのに、彼……小磯健二だけは違った。

――まだ負けてない。

絶望に怯えることなく、可能性を見つめた強い瞳。

――もう一度解きます!

窮地に立たされた時にこそ発揮される心の強さとか、決して折れない芯の強さだとか、そんなの、反則だと思う。
だからせめて、OMCは絶対に負けてやらないと、自分は心密かに決意していた。
子どもじみた感情だと理解しているが、どこかで彼に優位になっている部分を見つけないと、自分自身の足で立てなくなるような気がしたのだ。
そんなことを言えば、「僕なんかキング・カズマの練習相手にもならないよ」と、彼は慌てるだろうけれど、騒動が落ち着いたら絶対格闘エリアに引きずり出してやる。
勝ち逃げなんて許さない。
挑戦と……ほんの少しだけ(と思いたい)ヒーローへの憧れの気持ちを胸に、もう一度健二の顔を見上げて……。

――あ……れ?

ちくり、と。
微笑む彼の姿に、何か、どこかが、胸に引っかかった。
なんだ? ……と思う間もなく、

「あら、明日にはお客さんがたくさん来るじゃないの。やることたくさん、忙しいわぁ」

ぽん、と手を打ちながら放たれた万里子の一言で、各自が一斉に動き出す。

「大きなものは大人が持ち運ぶこと。瓦礫があらかた片付いたら子どもたちは床拭きね」
「うげー。まーじー?」
「もっと簡単なのがいい~!」
「アンタたち、つべこべ言わないの」

うんざりした顔をする子どもたちとは裏腹に、

「うわー、床拭きなんて何年ぶりだろう」

と目を輝かせる、子どものような高校生男子が一人。
言葉の端に好奇心がにじんだセリフに、親戚のおねえさんである夏希がぷっと吹き出した。

「健二くんてば、そんなこと言ってられるのも今のうちだけよ? 覚悟したほうがいいわよ~、腕がぱんっぱんになるんだから」
「な、夏希先輩。脅かさないでくださいよ……」

微かに青ざめて腰が引けた健二に、

「残念だけどほんと。何度もやったからね、ウチの廊下は長いからやりがいがあるよ」

淡々と事実だけを述べてあげる。
床拭きは肉体的重労働なのだ、心構えをさせておかなければさすがに可哀相だろう。
いくら細かろうと頼りなさそうだろうと、この家において『見学』なんていう選択肢は存在しないのだから。

「そんな、佳主馬くんまで……って、良くやってたんだ?」

みんなでやってたの? と不思議そうに目を瞬かせてた相手の疑問に、肯定の意味を込めてこくりと頷き返す。

「……大おばぁちゃんが、子どもたちを集めて『さぁ、勝負だよ!』って一斉に床拭き競争スタートとか」

ふっと、モップを片手に仁王立ちになった、曾祖母の凛とした姿を思い出した。

「あ、懐かしい。『働かざるもの食うべからず。勝負することに意義があるんだ。みんな頑張んなさい』って、発破かける割には小さい子にはハンデだって半分くらいからスタートさせたりね。それなのに佳主馬ってば、頑なに大きい子達にまざっちゃって、それでもいっつも一番なの」
「勝つのが好きだからね。まぁ、そんな勝負に勝ったところで、貰えたのはアイス選択権とかだけど」
「あははは、ほんと佳主馬は負けず嫌いだよね」

へぇ……と、気の抜けた声を漏らした健二が面白かったのか、夏希はころころと声を上げて笑う。
ぱっと咲いた向日葵の花のような笑顔の夏希は、身内の贔屓目を差し引いてもみても、かなり可愛らしいと思う。
もともとの人間不信に加え、あまり色恋といったものに興味がない自分でも、いつもハツラツとしていて美人で面倒見の良い親戚のお姉さんに、ほのかな憧れを抱いていた時期があったくらいだ。
人付き合いを意識して避けている自分とは違い、学校では相当人気があるんだろうなと、容易に想像できる。
事実、健二が夏希を見る目には明らかな好意があって、彼女の方も大勢の目の前で大好きだと叫んだ彼に対して「嬉しい」と頬を赤らめたいたくらいだ……。その直後のほっぺたにキスくらいで鼻血を噴出して倒れるという、とてつもなく情けないおまけがついたが……。
普通に考えて、彼女のような可愛い女子に、想いを寄せられて嬉しくないはずがない。

「大変そうだけど、楽しそうですね」……と。
続けられた声に、本当にこの人暢気だなと思った瞬間、何故かイラっとした塊がノドの奥にこみあげてきた。

(――なんで?)

根拠のない不快感に眉をひそめ、ため息で誤魔化そうと横を向いた瞬間……目に入ってしまった彼の表情に、またしても自分は「あれ?」と口の中で小さく呟いた。
嬉しそうだ、楽しそうだ、それは間違いない。
けれど、何故だろう。どこか……

「おーい、床拭き隊。集合がかかってるぞー!」
「はぁーい、いまいきまーす。んじゃあ、健二くん、佳主馬、行こっか?」

表庭から自分たちを呼ぶ理一の声と、呼び声に答えつつ腕まくりをする仕草をする夏希に促されて、足を踏み出す。
喉元に引っかかったトゲのようなそれは、直後にはじまった怒涛の掃除三昧で、すっかり自分の中から抜け落ちていた。


ほんの少し感じた違和感。
この時に、気がつけていたならば良かったんだろうか。
もっとちゃんと、向き合えていたら良かったんだろうか。
そうすれば、僕はもっと……気がつかされてしまった『恋』という感情のままに、動くことができたのだろうか……?


彼のことが気になって仕方がなくて。
ほんの二日ばかりの間なのに、夏希と一緒にいる姿を見かけるたびに、どうしようもないほどにイライラして。
「宿題見てよ。それくらいできるんでしょ、高校生なんだからさ」と、普段は口にしないような我がままを言ってみたりとか、「夏希ねぇにいいとこ見せようと思ってんじゃないの? 馬鹿みたい」とか、必要以上に攻撃的な口調になってしまう自分に気がついて。
それでも、懲りずに「佳主馬くんはすごいなぁ」なんて、へにゃりと笑いかけてくれる彼の笑顔に息が止まりそうになって、それはアンタのことだろう! と怒鳴りつけそうになる衝動を必死でこらえた。

 ――負けたんだよ!

家族を守るために、絶対に勝たなければいけなかったのに。その大事な場面で自分は叩きのめされ、打ちひしがれ、自分自身すら見失っていた。

 ――あきらめたら解けない。答えは出ないままです。

混乱と困惑が迷走する中で、立ち止まってしまいそうになっていた『自分』を見つけてくれて、本当の強さを教えてくれた人。
真の強さを持った人は誰だったのかなんて、あの場にいたみんなが知っていることだ。
それなのに、彼は笑う。

「あの時、夢中だったからよく分からなくて。今だから言えるんだけど……多分僕が、生まれてはじめて、『守りたい』って強く願ったことなんじゃないかって思うんだ。だから……そういう願いに気がつかせてくれたのは、佳主馬くんなんだよ」

佳主馬くんが家族を守ろうって立ち上がってる姿で、気がつくことができたんだ……と。
「ありがとう」を口にする彼の声に――ぎゅうっと、胸が締め付けられた。
どくんどくんと、全身が心臓になってしまったみたいに大きな音がした。
どうしてか、なんて考えるまでもない。とっくの昔に……最初から、答えは出ていた。

参っていたのだ、彼という存在そのものに。


だからだろう。
夜更けにのどの渇きを覚えて、麦茶を取りに台所まで行った帰りに、ふと話し声が聞こえた気がして客室近くの部屋をのぞいてみれば、想いを自覚したばかりの相手が内庭の縁に腰掛けているのが見えて。
誰かに電話をしているのだと気がついて、思わず足音を忍ばせて柱の影に隠れてしまったのは。
……別に、盗み聞きをするつもりはなかった。
薄明かりの彼の姿が、何だが儚げでとても綺麗に見えて、ほんのちょっとでも長く、彼の姿を見ていたくなったのだ。
初めて本気で好きになった相手が、四歳も年上で同性でおまけに手ごわい競争相手はとびっきりの美人。
自分の手持ちはこれ以上はないというほどのマイナスのカードばかりだ、少しぐらいハンデをもらったって許されるだろう。
言い訳にもならないことを胸の内に並びたてながら、少しだけ……と、ひっそり息を詰めて相手の姿をうかがう。
だから、自分は聞いてしまった。

 ――母さん? ごめんね、仕事が忙しいのに……あ、うん、そう、そうなんだ。……ごめん、連絡遅くなって。今日ようやく携帯新しくしたから……うん、代替機を用意してもらっただけだから、まだ仮になんだけど。は? え? そ、そうなの? ニュースで……ああ、そっか、そうだよね。母さん全然知らなかったんだ……えっと、じゃあ簡単にだけど……で……ということになってね……。

母さん、と彼は囁くように口にした。
どうやら、自分の母親に事の次第を連絡しているらしいと検討をつける。
そういえば、家に連絡しなさいねと散々せかした万理子の言葉に「今は……多分連絡つかないので。後で必ず親には説明しておきます」と返していたことを思い出す。
起こったことを淡々と事実だけ説明している彼の口調は、丁寧なのだけれど、どこか事務的めいて。
普段はゆるやかな印象を受ける健二らしくないなと、思ってしまった。
もちろん、ほんの数日間で彼について分かったことなど、高が知れているのだけれど。

 ――仕方ないよ、仕事の都合なんだし。うん、この時間なら起きてるだろうなって思って……え? は? そ、そんなこと思ってないよ、何言ってんのっ。

お、と思う。
電話相手のセリフに驚いたのか、少しだけ声のトーンが上がった。

 ――もう、冗談はやめてよ。ほんとに思ってない、尊敬してます。母さんの言葉って心臓に悪いんだってば。

軽く責める様な口調には、明らかに先ほどまでとは違う、砕けた親しさがにじんでいる。
ああ、さっきまでの固い口調は彼なりに緊張していたせいなのか……と気がついた。
それはそうだろう、親に対するものとはいえ、説明するのも大変な大事に巻き込まれてしまったのだ、理解してもらうのだって一苦労だろう。
身構えても仕方がないと納得し、許可を得たわけでもないのに、家族間の話をこれ以上立ち聞きしているのはさすがに悪い気がしてくる。
ここで、さっさと場を離れてしまえば良かったのだ。
……だけど、自分は見てしまった。

 ――うん、うん………うん? え、えっと、多分それくらいの時間なら万理子おばさんも起きてると思うけど……え、でも母さん、仕事は……だけど……うん………はい……。

だんだんと、小さくなる声。
何かがノドにつかえたかのように、掠れる息。

 ――そんなこと……思ってもみなかった……よ。うん……。

小さく鼻を啜る音。
口元から電話機が離れたせいか、微かに彼以外の声が耳に届いた。


   『お疲れさまでした。健二、よく頑張ったね』


低く、落ち着いた女性の声に、彼の肩が小さく揺れた。

たぶん、気がつかなければ良かったのだ。
月明かりに照らされた、彼の頬に光っていたものが何であるのかを。
透き通る光がぽたりと地面に吸われたところなど、声を殺してむせび泣いている姿など、そんなのを見なければ……きっと僕は、内にともされた熱のままに、彼を追って、求めて、縋って、自分だけの檻に閉じ込めてしまおうとしていた。

 ――犯罪者と誹られ、絶望的な状況に追い詰められようと、心の支えになっていた栄おばぁちゃんが亡くなった時も、彼は一度として涙を僕らに見せなかった。

あの事件の最中、僕らは誰よりもお互いの存在を身近に感じ、かけがえのない連帯感を感じていた。
「みんなで囲む食卓が楽しかった」と言ったという健二の言葉は、本心だったのだろう。事実、彼はとても楽しそうにこの屋敷に滞在し、みんなの輪に加わっている。

(けれど、僕たちだけでは全然足りない?)

母親の労いの言葉で、せき止めていたかのように涙をあふれさせた彼。
その事実が、僕を打ちのめす。
身体を突き刺すようなこの想いは、何だというのだろう。
胸の奥が熱くて痛くて苦しくて。愛しいと思うのに、泣き出したくなるくらいに切ない。


  笑っていて欲しい。
  幸せでいて欲しい。


願うのは、ただ、それだけ。
この瞬間、僕は感情のままに動くことを放棄した。




次の日、みんなが揃った朝食の席で、

「朝早くに健二さんのお母様から電話があったの。それはもう丁寧なご挨拶で、健二さんが礼儀正しい理由も分かるわねぇ」

感心したように万理子が口にして。
健二が慌てて「そんなことはない」と恐縮するのを、一族のみんなが「まーた健二の否定がはじまった」と大笑いして。

「母さんがここに電話してくるなんて思わなかったから……」

照れたように頬をかいて微笑んだ相手に、

「良かったね」

と返した自分は……うまく笑えていただろうか。


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